専門医コラム
2015/08/07
"視力"と"認識"は別物 ~ 続•『脳でものを見ている!』
再生医療で視力を回復しても見たものを理解できない
前回のコラムで『我々は脳で物を見ている』とご紹介しました。この考えを補足する医学研究をご紹介します。
医学や生物学の実験では再現可能かが問われます。STAP 細胞の問題で、作製実験で再現出来なかった事で物議を醸し出した事は記憶に新しいですね。それでも1回きりの経験を重視する伝統もまた持っているのです。
特に精神医学や神経学では症例報告のウエートが高いです。
脳のような複雑で個別の要素が高いシステムでは、統計的手法を当てはめることが難しい1回限りの現象が存在し、その追求から限界はあっても普遍的な原理や法則に迫ることが可能な場合があるからです。
例えば精神的な病気なら、この伝統はフロイトの膨大な症例報告に残っていますし、神経学でも、例えばダマシオの「デカルトの間違い」などには、脳障害で性格が一変した症例などが一般の方にもわかるよう紹介されています。
50歳近くに再生医療で視力回復
今回紹介するワシントン大学からの論文も同じようにそう繰り返して経験することのできない症例報告です。精神分野の国際誌、サイコロジカル・サイエンス誌4月号に掲載されました。
タイトルは「視覚回復後10年以上経っても経験による可塑性(かそせい)は欠損している(A lack of experience-dependent plasticity after more than a decade of recovered sight.)」です。
この症例は3歳半に事故で化学薬品を浴び、左目は完全に失われ右目は角膜障害を受け失明状態になった患者さんです。46歳まで光は感じるものの、ほぼ完全な”失明”状態として生活してきた後、右目の角膜を幹細胞移植で再生する治療を受け、視覚を回復しました。視覚が急に回復した時、経験による脳内での統合が必要な複雑な視覚認識はどこまで回復するのかが課題でした。
手術後2年目の検査で、光や色の感覚、また単純な形態の認識はほぼ完全に回復しているにも関わらず、表情を始め3次元画像など経験を必要とする視覚認識は全く回復していなませんでした。視覚が回復しても触覚や聴覚に頼らざるを得ないことが明らかになっていました。
さらに10年経過して、この状態が改善したかどうかを調べたのが今回の研究です。
認識する能力は回復せず
結論を先に言うと、残念ながら全く回復しないという結果でした。
例えば、いすの写真を見せていすと認識することができませんでした。
男か女か、あるいは怒っているのか喜んでいるのか、感情を理解するのも画面だけだとうまく判断できません。
2次元画像の形であればある程度認識できましたが、3次元画像になると単純な形の認識も難しいのです。
全くランダムに答えるよりは正解率は高く、ある程度の認識が可能なことも確かではあるのですが、50歳近くで視覚が回復して10年たっても、それまでの50年の経験を通して積み重ねた脳内ネットワークを再構築することはできていないという結果だったのです。
脳のネットワークは発達し直さない
このことをより客観的に確かめる意味で、MRIで脳活動を研究されています。詳細はさておき、結果は、顔の認識、人間の体の認識、景色の認識などの課題に対して反応は強く低下しています。
結局、見えるということと認識するということが全く別物。3歳半までに獲得した脳内ネットワークはそのまま発達することなく止まってしまっていると考えられます。
何歳まで経過すれば完全になるのか、同じような症例で、事故が起こった年齢が異なる症例が集まれば、統計学的処理ができなくとも多くのことが分かると思われます。その意味で眼科領域の再生医学が神経科学にも大きな貢献を果たすことが期待されるのです。
視力と認識を同時に鍛えることの重要性を重ねてお伝えしたいと思います。